2014年
1月
27日
月
日之出産業株式会社

住所:横浜市都筑区池辺町3854
Tel :045-507-3031
Fax : 045-507-3032
URL : http://www.hinodesangyo.com
限りある水を大切にするために・・・
微生物による、環境にやさしい排水処理薬剤
エルビックシリーズ
~そしてそれは、こんなところに使われているよ!~
■ららぽーと横浜のレストランの厨房の排水
■大阪あべのハルカス
■ケンコーマヨネーズ
■タカナシ乳業
■シャトレーゼ 不二家
■三井タワー屋上のレストラン→再生水に利用
■敷島製パン(パスコ)、中村屋埼玉工場

日之出産業株式会社の
ロゴのキャラクターはカエルくん。
~社長さんインタビュー~
日之出産業株式会社 代表取締役社長 大林 世一さん

■会社の設立と従業員の方について教えてください
日本の下水整備の発展とともに、しごとの内容も変化
昭和51年9月、父が現在の会社を始めた当時、日本は、やっと都心に下水が整備され始めたころでした。浄化槽(下水)のある家もボチボチでき始めていましたが、全国的には浄化槽は普及していず、くみ取り式でした。バキュームカーでホースを入れて吸っていたのです。それと同じく工場などの汚水もたれ流し状態でした。
もともと大きな製鉄会社をやっていましたが、オイルショック(昭和48年、第4次中東戦争の影響で石油価格が上がり、国民の経済は大きな影響を受けた)の影響で、倒産しました。その後少人数の従業員で、再び立ち上げたのがいまの会社です。これからは環境保全に役立つことをやろうということで再出発し、バクテリアを使った、汚水を浄化する脱臭剤の販売会社を始めました。浄化槽の臭いや詰まりに入れると、薬が臭いを分解してくれるのです。
私は大学を卒業したあと、ポンプの製造会社に入社したのですが、昭和55年にこちらに転職しました。ちょうどその年に、日之出産業株式会社という名前に変え、水をきれいにする事業を本格的にやるようになりました。私はその事業を広める仕事が担当でした。清掃会社に行って、バキュームカーに薬を使ってもらえるように営業をしたこともあります。
本社は平成11年、都筑区へ引っ越してきたばかり。現在会社は私を含め13名(うち女性4名)います。専門職で分析をやっている女性社員もいます。営業4名、研究開発・分析(製造)3名、顧問1名、事務2名といったところでしょうか。
■日之出産業の仕事は、どのようなことですか?
微生物のちからで、汚水処理を
その後時代が変わり、下水道が完備されてきたことにより工場で排水処理の設備も作るようになりました。各地で下水が整い、企業でも大型の汚水処理装置を使うようになったのです。そこでうちの会社も、排水処理施設の設備と排水処理薬剤エルビックの製造販売へと事業を広げました。
現在は、排水処理装置と薬剤の販売がおもな事業ですが、装置のほうは、設計、設備計画、メンテナンスまで請け負っています。薬剤は社内で作っているものもあり、外注もあります。
薬剤は商品名を「エルビック」といいます。今から25年前の30歳のころは、いろいろな微生物の薬剤をブレンド・加工・配合しながら、試行錯誤で作っていました。今では研究室で菌の発見から分析まで科学的に行っております。エルビックに使用している微生物には、納豆のようなねばりがあるのです。バチルス菌とよばれる納豆菌の一種には汚水を浄化する力があるんですよ。また紙おむつなどにも使われている高分子吸収ポリマーは汚水を凝集し汚れた水ときれいな水に分ける働きがあるのです。エルビックシリーズは、現在100種類以上あります。お客さまの要望にこたえながら、より良い製品を作っていった結果です。「粉じゃなく液体のほうが扱いが良い」とおっしゃる方がいたので液体のものも作りました。今では液体品がわが社の主流になっております。現在ホームページ上で一部公開していますが、エルビックを使ってくださっている企業は、300社ほどになります。
■会社をやっていて「うれしかった」こと「苦労した」ことは何ですか?
立派な企業が、自社の排水処理には目をつむっていることも
うれしいことは、お客さまに感謝されることです。「日之出産業に足を向けてねむれない」といわれることもあるんですよ(笑)。商品開発をしていたころは、大手の企業から「助けてくれ!」と直接ご指名で声がかかることもありました。そんなときは、夜でも飛んでいきます。そして、それを成功させたときの喜びは格別です。緊急の仕事もありますが、それに対応してお客さまに感謝され、環境保全に役に立つのならば、たいへんだとは感じないです。3日で直して帰ってくる。こういったノウハウは、若い社員たちに引きついでいかなければならないと思っています。
一方、苦労といえば、薬剤の開発です。安全性の調査や実験を何度も行うので、ひとつの商品に5年かかることもあります。また、お客さまのところでサンプリングして微生物の状態を調べ、水質分析をして、どの薬剤を使ったら一番良いかを提案します。相手が微生物なので、季節や環境によっても状態が変わり、一人ひとりに処方箋(しょほうせん)を書くような仕事です。そしてきれいになったら、次は「いらない」といわれてしまうこともあるんです。
ただ、残念に思うことは、ISO14000やエコマークをつけているような立派な企業が、自分の会社の排水処理には目をつむっていることがあるんです。合理性や、効率、コスト削減を考えてしまうと、企業にとってはお金をかけたくない部分なのでしょうね。見て見ぬふりをする会社、利益追求に走っている会社。表では環境保全に取り組んでいることをアピールしていても、実際裏では利益の追求ばかりになっている会社を見てしまうと、表と裏の2面性が見えてしまってがっかりすることがありますね。
■これから、どんなことをやっていきたいですか?
アフリカやアジアの水をきれいにしたい
企業に、もっとちゃんと自社の排水処理に目を向けてもらうためには、企業の社会的責任や環境問題を伝えていかないとだめです。子どもが川の水を観察する機会をあたえたり、自然にやさしい排水処理を伝えていくなど、地域の学校ともつながりたいです。社会の目があると、会社もそれを気にするようになりますからね。子どもたちにも見てほしいですね。
それと、海外での需要(じゅよう)があります。とくにアフリカ、そして中国や東南アジア諸国では、今でも汚水の処理が満足にできてないところはたくさんあります。大がかりな装置を作らなくても、微生物の力で汚水を処理することが可能です。今後は、もっと世界にも目を向けていきたいですね。

■日之出産業のモットーは何ですか?
私たちは常に新しい技術をめざし水処理を通じて、環境保全に貢献(こうけん)します
「水処理を通じて環境保全に貢献(こうけん)する」ですね。なんといっても水は有限です。排水がきれいにならないかぎり地球環境はきれいにならないのです。そして汚れた水を再生することはおよそ10億人の満足な水を得られない国の人々を助けることができます。水は人間の体を3回転している。排水も飲料水も元は同じものなのです。このモットーを心にきざみ、創造的で革新的なことをやっていく“ベンチャー”でいること。新しいことに柔軟に取り組んでいきたいと思っています。
従業員にも、モチベーションを高めるため、国家試験を受けさせています。その一方で、一人ひとり趣味を持っていてプロ級の腕があるので、それを社内でお互いに広めて、仕事とは別のコミュニケーションがとれるような環境作りにも取り組んでいます。
これらはすべて、頭をカチカチにするな、という思いからです。常に頭と心を柔軟(じゅうなん)にして、いつも新しいものに挑戦できるようでありたいです。

■社長さんの学生時代のことを教えてください。
画家になることが夢だった
大学では、機械工学・流体工学を専攻し、本当は飛行機の設計士を目指していたんです。フォークギターやサッカー、スキーが好きでした。小さいころの夢は、画家になることでしたね。だからいつかまた、絵を描きたいです。
会社をつぐ気はなかったのですが、平成5年に先代から引きつぎました。今56歳なので、あと10年は頑張ります。
■子どもたちへのメッセージをいただけますか?
生物や自然の勉強を!
自然界に目を向けて、何にでも興味をもって頭をやわらかくしてほしいですね。教科書の中だけではなく、実際に土をさわったり、湧水(わきみず)を飲んでみたりして勉強してほしいです。科学技術もだいじですが、生物や自然は生活に密着しているので、大切にしてほしい。そして、大人になったら、ぜひ日之出産業株式会社に入社してほしいですね!
~大林さんの休日~
■趣味(しゅみ)&マイ・ブーム
お酒を飲むことは好きですね。でも本当は、絵を描きたいんです。今は図面ばかり描いているので、風景画を描きたいですね。60歳を過ぎたら、画家を目指したい(笑)。
2014年
1月
15日
水
株式会社エーシーエム

住所:横浜市都筑区川和町638
Tel:045-930-3038
Fax:045-930-3039
URL:www.acm-neo.jp
すぐれた加工技術で作る、カーボンファイバー製品
強くて軽い、注目の素材をもっと広めたい
~そしてそれは、こんなところに使われているよ!~
■自動車や半導体(※)の製造ラインに使われるロボットの部分に、エーシーエムの製品が
使われている。
■薄型テレビの製造ラインのロボット、災害用ロボット、介護用の人型ロボットなどに使わ
れている。
■家具などにも使われている。
※半導体とは
半導体は、パソコンや携帯電話など、身のまわりの電化製品の多くに使われています。
~社長さんインタビュー~
株式会社エーシーエム 代表取締役社長 大久保 茂さん

■株式会社エーシーエムの歴史
先端複合材料(ACM)から命名
2002年設立の、まだ新しい会社です。私はもともとレーダー(対象物に向けて発射した電波の反射波を測定して、対象物までの距離や方向を調べる装置)の部品を製作する会社に勤めていました。レーダーの発信機や保護カバー、飛行機の先端部分などを作る会社です。飛行機が離発着するときに受ける電波を通り抜けさせるものなので、強度が必要なため、そこに強度のあるファイバー(繊維状のもの)を使っていました。それでさらに強度の高いカーボンファイバーに興味を持ち、自分で会社を設立しました。今は、カーボンファイバーを中心に、先端複合材料(ACM)と言われる素材を使った製品の開発や加工を行っています。会社の名前は先端複合材料(ACM)からつけました。
創業したときは4人でしたが、現在社員は30名(設計8人)で、うち4名が女性です。途中採用もしており、文系・理系はとくに関係ありません。比較的若い社員が多く、自由でのんびりした雰囲気ですよ。年2回ボウリング大会があるのですが、たいへん白熱します。みんな強くて、スコア150でも優勝できないんですよ。

■カーボンファイバー(炭素繊維(せんい))とは?
強くて軽く、どんな場面でも使える素材
カーボンファイバー(炭素繊維)とは、文字通り、炭素でできている繊維です。石油からできた糸を高温で炭化して作られています。特徴は鉄などの金属にくらべて、強くて軽く、熱や摩擦(まさつ)や酸にも強いので、いろいろな場面で使うことができます。1950~60年代に発明され、70年代に実用化されましたが、値段が高いのが難点です。
カーボンファイバーは繊維なので、そのままでは使えません。カーボンファイバーに合成樹脂を混ぜて固めたものをCFRP(炭素繊維強化プラスチック)といい、それを材料として使います。
一般的には航空機や自動車や宇宙開発、テニスラケットやゴルフクラブ・自転車などのスポーツ用品、建築現場や医療の現場、携帯電話やパソコンなどに使われています。最近では、ボーイング787に使われるということで話題になりました。
日本国内では、カーボンファイバーを生産しているのは5社程度、それを加工・成形している会社(エーシーエムなど)があります。飛行機などの大きいものを成形しているのは数社ほどあります。

■エーシーエムの仕事
カーボンファイバーのテーラー(仕立て屋)
エーシーエムでは、こういったCFRP(炭素繊維強化プラスチック)を使って、工場にあるロボットの手や腕の部分、橋やトンネルの内部の補強材、家具なども作っています。
まずそれぞれの用途を考えて、どんなものを作ればいいか考案します。どれくらいの強さにしたらいいか、どれくらいの厚さにしたらいいか、どれくらいの温度に耐えられればいいかなどを決め、それにしたがって、適した素材(シート状になっている)を選び、重ねたり、切ったり、焼いたり、けずったり組み立てたりして形にしていきます。
毎回まったく同じものを作っているのではなく、すべてお客さまの要望による受注生産です。仕立て屋(したてや)さんが、その人にピッタリのスーツを作ることをテーラーメイドと言いますが、私たちはカーボンファイバーで、テーラーメイドしています。
■エーシーエムのモットー
設計から組み立てまで一貫作業で行うスピードがセールスポイント
カーボンファイバーは素晴らしい素材です。発明以来、宇宙開発の世界などでは、その価値をまっさきに認めて使ってきましたが、高価なものというイメージがあって、なかなか一般の世界では広がりませんでした。一般の世界でもその価値を認めて、多少高いけれど使ってみよう、と思ってもらうために、エーシーエムは仕事の速さをセールスポイントにしました。依頼を受けてから納品するまで、なるべく速く対応できるように、スタッフの技術や配置を考え、設備も良いものを使って、社内の一貫体制で取り組めるように会社を作ってきました。
カーボンファイバーを扱う会社の多くは、製品の設計、成形、加工、組み立ての、ある工程だけを受け持ち、他の工程はまた別の会社がやりますが、エーシーエムでは最初から最後まで、すべて一貫して社内でやっています。
製品を作るためには、最初の「設計」の部分がとても大切です。用途を考えて、さまざまなカーボンファイバーと、樹脂を使い分けることで、カーボンファイバーの機能が最大限に引き出されるのです。うまく引き出されると、結果として安く仕上がります。これが、「設計」の楽しさです。


■社員へのメッセージ
自分の担当だけでなく、全体を広く見ることが大切
社内で一貫して全工程を引き受けているので、スタッフには「自分の担当部分は必ず自分でチェックして、次の工程に渡す」ということを徹底しています。また、全工程が社内にあるので、自分の担当以外も知ることができるので、工程全体を、広く俯瞰(ふかん)してみるようにと伝えています。ある1か所だけしか見ていないと気づかなかったことにも、気づくことができ、それがエーシーエムの強みでもあるのです。
ときには、お客さんにも参加してもらい、自分の目で確認してもらうこともあります。エーシーエムでは、そのために技術や製造方法を公開しています。工場見学を積極的に受け入れているのです。カーボンファイバーの全体像を知ってから使ってもらうことで、お客さまもわが社も、おたがいにハッピーになれるのです。
■会社をやっていて「よかった」こと「大変だった」ことは何ですか?
たいへんなときも、何とかなると信じて進む
社長をしていると、自分の仕事を自分で決めないといけません。あたり前ですが、時間を決めたり、給与を決めたりといったことは、経営者の大きな仕事です。しかし、自分がやることも自分で決められるのです。自分でやりたい仕事に集中することができるので、それは本当に楽しいし、会社をやっていて良かったと思います。
反対に大変なことは、お金がなかったり受注がない時です。でもそんなときも、決してあわてないことが大切です。いろいろな方と会議をして意見を聞きますが、たくさんの方に支えられて今の仕事が成り立っていると思うと、そこから道が見えてくるものです。だから、たいへんなときも、何とかなると信じて進みます。

■社長として、こだわっていることや絶対にゆずれないことはありますか?
一流の部品がないと一流のマシンは作れない
よく、親会社・子会社とか言いますが、私たちは「ビジネス」をしているので、いくら親会社であっても、立場は対等だと思っています。たとえマシンを作っている会社の手伝いの仕事だとしても、一流の部品がないと一流のマシンは作れないんです。私たちは、一流の部品を作っているという自信があるので、お手伝いであっても対等の立場で仕事をします。
日本は資源がないと言われますが、私は日本は豊かな国だと思います。それは素晴らしい「人」がいるからです。シェールガス(固い岩盤のすきまに閉じ込められた天然ガス)にしても、それまで使えなかったものを、使えるようにしたのは日本の技術です。最近は海外移転をする会社も多いですが、日本には、すぐれた技術ですばらしいマシンを作っている会社があります。だから私たちも、日本で力を発揮したいと思っています。

■子どものころなりたかったものは?
「そもっちょ(いたずらっ子)」と呼ばれていた子ども時代
実は小さいころは、夢はとくになかったんです。泥団子を作ってぶつけ合ったり、靴に入れたりと、いたずらばかりしていました。だからいつも体中傷だらけでしたよ(笑)。高校まで新潟にいたのですが、向こうではいたずらっ子のことを「そもっちょ」というんです。いつもみんなにそう呼ばれていました。
こちらに来てからは、おとなしい生活をしていました。でもアルバイトは一生懸命やっていて、夜は仲間と飲みに行ったりドライブに行ったりしていました。
■都筑の子どもたちに何かメッセージを。
知ってみたら面白いかもしれない
ビジネスをしていくためには、お客さんに知ってもらわないと、その会社や製品を好きになってもらうことはできません。だから「知ること」「知ってもらうこと」は、とても大切です。
「知る」というのは、いろいろなことに興味を持つことです。それが遊びでも仕事でも勉強でも、知ってみたら面白いかもしれません。知って面白いと、もっともっと興味がわいてきて、それが自分の役に立つかもしれないのです。もちろん「嫌い」なことは無理をする必要はありませんが、まずなんにでも興味を持って知ってみてください。そこからすべてが始まります。
■スタッフの本田さんは、どうしてエーシーエムに入社されたのですか?
世界に出ても勝てる仕事がしたい!
私は入社して5年目ですが、学生時代に、「絶対に世界に出ても勝てる」という仕事をしたいと思っていました。いろいろな会社を調べて、日本のカーボンファイバーは、世界で7割のシェアがあるということを知りました。本当に素晴らしい素材で、もっともっといろいろなところで使われるといいと思っています。営業と技術を担当しており、カーボンファイバーのアピールや事業開発が私の仕事です。
神奈川出身なので、夢は、みなとみらいに事務所を持つことです!まだまだ知られていないことがあるので、それをアピールしていきたいです。

~大久保さんの休日~
■趣味(しゅみ)&マイ・ブーム
地元都筑区在住なので、緑道などの散歩が楽しいです。
■休日のすごし方
つい休日はダラダラ過ごしてしまいがちですが、2009年から飼っているトイプードルが
かわいくて、いつも散歩に連れて行きます。
■この街について
住んでいる場所ですが、住みやすいですね。きれいだし、公園や遊歩道に恵まれていて、
子育てをするのに良い街だと思います。
2013年
11月
11日
月
第一フォーム株式会社

住所:横浜市都筑区大棚町631-1
Tel:045-591-3303
Fax:045-591-3251
URL:http://www.daiichi-foam.co.jp
発想の転換で、今までにない発泡スチロール製品を開発
「これが発泡スチロール?」と言わせたい!
~そしてそれは、こんなところに使われているよ!~
■都筑図書館のPCのところに置いてある椅子や茶色の本棚。社名が貼られている。
「図書館の雰囲気をポップなイメージにしたい」との注文を受けて開発。
~社長さんインタビュー~
第一フォーム株式会社 代表取締役社長 渋谷 正明さん

■第一フォーム株式会社の歴史
兄の会社と、となり同士で営業中
第一フォーム株式会社は、1986年に父が創業しました。じつはその前、父は川崎の中野島で30年間会社をやっていたのですが、ぼくが高校生の1982年ころ一度倒産したんです。その後86年に、発泡スチロールの加工専門の会社として再生しました。ぼくには兄がいるのですが、2001年に、兄がテクノファースト株式会社という、発泡スチロールをカットする機械を作る会社を立ち上げました。兄は大学で機械工学を学んだので、機械専門の会社をやりたかったのですね。その後2003年に、ぼくが父の第一フォームのほうを引きつぎました。今でも2社は隣りあっていて、おたがいに助けあっています。

■第一フォームが作っているもの
お店の内装や展示会・イベントなどに使う、かざりや備品を製作
創業したころは、発泡スチロールやダンボールなどの梱包(こんぽう)材料を扱っていました。発泡スチロールは、魚や野菜などを入れる断熱材や、家電のパッキンとして使われていますが、昔のほうがいまより多く使われていました。経済の話になりますが、ある商品を必要とする人が増えると、いろいろな会社が同じ商品の販売を始めます。すると商品の数がふえて安売り合戦が始まります。その結果価格がさがって、利益が出なくなる…といった流れをたどります。
発泡スチロールの箱の価格は1個60円~100円くらいです。これをもっと安くしてたくさん売っても、単価が低いので、利益はあまり出ません。いっぱい売っても、利益が出ないのでは会社をやっていけません。そこでうちの会社では、値段を下げなくても売れる良い商品を作って、利益が出る方法を考えようと決めました。
では、値下げをしなくても売れる発泡スチロールとは、どういうものだろう??といろいろと考えた結果、発泡スチロールを加工して、お店の内装や展示会・イベントなどに使う、かざりや備品などを作ることを思いつきました。そして、今まで取り引きをしたことのなかった、広告やイベントを企画する広告代理店や、看板屋、ディスプレーに使ってくれるお店などと、取り引きするようになりました。
うちで作った看板やディスプレー用のオブジェなどをお見せすると、「へえ、これが発泡スチロールなの?」とおどろかれます。発泡スチロールなので、木や金属で作るより簡単で安いので、「じゃあ、今度使ってみよう」と言ってもらえるようになりました。
■第一フォームのモットー
だれも作っていないもの、人がやらないことを追求
このように、第一フォームでは発泡スチロールを使って、どこの会社もやっていないような加工品を作っています。日本中調べましたが、ほかにうちと同じようなことをやっている会社はほとんどありませんでした。どこもやっていないこと、ほかの会社と競争にならないこと、人がやらないことをやるのが、第一フォームのモットーです。
おもしろそうなことをやっている会社は、それだけで話題になります。今年の夏には「ぶらり途中下車の旅」というテレビ番組の取材を受けました。その番組を見た方からの問い合わせも増えました。実際に訪ねてきてくださる方もいます。常に何かおもしろいことをやっていれば、このようにテレビの取材などで、それを発信できるということを実感しました。
でも、新しいお客さまを探していく一方で、昔からの「保冷用の箱がほしい」とおっしゃるお客さまも大切にしていかなければいけません。現在は昔からの梱包(こんぽう)材料を必要とするお客さまが4割、イベントの看板、展示会・店舗のオブジェなどを使ってくださる新しいお客さまが6割です。
■新商品の開発
日々研究と実験をしながら、新しいアイデアを探す
いつも「こんなこともできるかもしれない」と新しいことを考えています。家具屋が作っている商品を発泡材で作る、建築業者が作っている内装の装飾を発泡材で作る、そんなこともできると思います。
今、幼稚園や保育園で使う椅子やテーブルの開発をしています。モニターといって、何か所かの保育園で実際に使ってもらい、耐久性(たいきゅうせい)や安全性を調べています。新商品を開発するときは、毎日自分で使って試してみて、何度も改良して、大丈夫かどうかを確かめてから商品化していきます。発泡スチロールには“こわれやすい”というイメージがありますが、実は硬くじょうぶなものもあるのです。でも硬いものは重い。そこで、どのくらいの硬さのものを使うと、家具として使える強度のものが作れるか、という実験も日々やっています。
発泡スチロールの長所は、金属や木などではできない、おもしろい形を自由に作れるところです。また、見た目より軽いので、見てすぐに素材がわかると「こわれやすいのでは?」と思われてしまいますから、素敵に見えるようにコーティングしたり、色を塗ります。そのために、どんな塗料を使うと良いかとか、プロダクトデザインといって、道具や製品のデザインの勉強などもしています。
■こだわりや譲れないところ
財産である“加工の技術”は、教えるけれど値下げはしない
第一フォームは加工が専門ですが、テクノファーストが作っている加工用の機械を使っています。テクノファーストの機械は全国に広まっていますが、使いこなせていない会社も多く、もったいないと思います。そこで、第一フォームで開発した新しい商品を、テクノファーストの機械とセットにして、同じように発泡材を販売する会社に紹介していくこともできると思います。第一フォームは加工の技術を持っているので「お宅の会社でも、何か新しいものを開発してみませんか?そのための加工の技術は教えますよ!」という提案ができるのです。
こうやっていろいろな会社がおたがいに協力しあえるようになると、発泡材の新しい利用法がもっともっと広まって、発泡材の業界が活気づいていくと思うのです。でも、職人さんなどもそうだと思いますが、“加工の技術”は第一フォームの財産でもあるので、そこは安くしませんよ(笑)。

■第一フォームの従業員
仕事と休日のメリハリが大切
21歳から50歳まで4人の従業員がいます。一番年長が女性で、事務を担当しています。この方は入社15年なので、ぼくより社歴が長いんですよ。2人の男性は加工を担当しています。21歳の新卒の子は、神奈川県立産業技術短期大学の生産技術科1期生で、ぼくが説得して入社してもらいました。
会社はものすごく自由な雰囲気です。ぼくはよく「早く帰れ!」と言うんですが、家族も大切にしてほしいからです。土日は絶対に休んで、家族のために時間を使う。そのかわり、会社にいる間は仕事に集中してほしいので、平日はとことん仕事してもOKといっています。「やるときはやる」というメリハリが大切です。段取り(だんどり)が悪いと、平日にダラダラ仕事をして終わらず、日曜日も仕事をしなくてはいけなくなりますが、それでは、バランスが悪くなるからダメです。
■会社をやっていて「よかった」こと「大変だった」ことは何ですか?
社長は、社員の家族の人生にも責任がある
よかったというより、うれしいのは、単純に「おもしろいね!」と、お客さんにうけたときです。「やった!」という気持ちになります。「え??これは発泡スチロールなの??」と聞かれたときも、こちらが狙っているところにヒットしたなと、うれしいですね。
大変なことはいろいろありますよ(笑)。ひとりでやっていれば自己責任ですが、社長はそうはいかない。社長として、従業員とその家族への責任を感じます。ほかの人の人生を背負っているという責任感です。週末になると、翌週の仕事がうまくいくかな、と気になることもあります。父が社長をしていた会社が倒産したとき、たいへんな思いをしましたからとくにそう思うのかもしれません。昔サラリーマンをやっていましたが、サラリーマンはなんて楽だったのかと思いますね。
■子どものころなりたかったものは?
小学校時でめぐり合った先生のようになりたかった
大学卒業後は、13年間旅行会社とパソコン関係の会社でサラリーマンをしていました。兄がテクノファーストを始めたので、自分から父に「サラリーマンをやめて、あとをつぎます」と言いました。このような中小企業の経営についてはまったく知識がなかったので、ゼロからの出発でした。
子どものころは、小学校の先生になりたいという夢を持っていました。小学校6年間でとても良い先生にめぐり合え、学ぶことが多かったんです。だから自分も、あんな先生になりたい、とずっと思っていました。
大学時代はアメリカンフットボールをやっていて、今でも休日は小学生にアメフットを教えているんです。ぼくは怖いコーチですよ(笑)。ちゃんとやらない子には怒鳴りますから。親でも遠慮なく怒鳴ります。自分も悪ガキだったけれど、先生に怒鳴られてたくさん学んだので、自分の昔の姿に重なるんです。

■都筑の子どもたちへのメッセージ
たくさんの友だちをつくろう!
一番言いたいことは「友だちをたくさん作れ!」ということ。そうやって子どものころから付き合っている友だちは、社会に出てもずっと付き合えます。とくに一緒にスポーツをやっている友だちはずっとつながっています。塾ではライバルはできるけど、本当の意味での友だちはできない。ライバルと戦うのは社会人になってからでいいんです。そうやって子どものころから付き合っている友だちは、大人になってからおたがいに助け合ったり、アドバイスし合ったりという、良い関係になれるのです。
~渋谷さんの休日~
■趣味(しゅみ)&マイ・ブーム
昔からやっているアメリカンフットボールのクラブチームに入っています。最近は、ゴルフも楽しい。
■休日のすごし方
仕事が忙しいので、気分を切り替えることも必要です。2歳の娘と遊ぶのが、何よりの休息です。
■この街について
良い街ですね。小さい子どもがいる家庭には暮らしやすい環境です。自然もあるし街もある。車の抜け道がなく大通りしかないので安全です。平均年齢も若いので、友だちもたくさんできます。横浜にも都心にも行きやすいという場所の特徴もありますね。
2013年
9月
19日
木
有限会社 廣杉精機

住所:横浜市都筑区東山田4-42-15
Tel:045-593-0457
Fax:045-593-0458
URL:http://www.hirosugi.com/
ねじ穴を補強する、小さいけれど頼りになるヤツ!
使い勝手の良さで、世界から指名されるオンリーワン製品
~そしてそれは、こんなところに使われているよ! ~
■おもに産業機械の部品や、コンピューターなどのプリント基盤(コンピューターのICチッ
プを一枚の板の上に配線したもの。コンピューターの心臓)。
■自動車のエンジンのシリンダーヘッド:アルミ製で、つけたりはずしたりが多い箇所なの
で、ネジ穴がきかなくなりやすい。
■ゲームセンターのゲーム機のパネルを押さえるネジの穴など。
■ラジコン:キットはプラスチック製なので、ネジがゆるみやすい。シャフトもチタン製なの
で、そのネジ穴に使う。
■ロボコン:大学や高等専門学校で行われる、ロボットコンテストなどで使われる。
~社長さんインタビュー~
有限会社廣杉精機 代表取締役社長 佐々木 廣さん

■廣杉精機が作っているもの
部品やネジなど、細かく精密(せいみつ)なモノを生産
大学を卒業してすぐ、仲間数人で「町工場をつくろう!」といって会社を始めました。もともとあった佐々木製作所という会社を引きつぐ形で、武蔵小杉で創業したので、「小杉の廣(ひろし、社長の名前)」で、廣杉という会社名にしました。でもそこが手狭(てぜま)になってきたのと、自宅が横浜市都筑区にあり、たまたま自宅の近所にいい物件があったので、平成5年に現在の場所に引っ越してきました。
廣杉精機の仕事は、小さな機械部品やネジなどの細かい精密(せいみつ)なモノを製造し、販売することです。アルミ、ステンレス、鉄はもちろん、真鍮(しんちゅう)(銅と亜鉛との合金。黄色でさびにくい)や樹脂(じゅし)(プラスチック)などの加工もします。創業当時は使っている機械もアナログなものばかりでしたが、今は「NC自動旋盤(せんばん)」というコンピュータで動かす機械を導入し、精度の高いものを作れるようになりました。
今は「イリサート」という、わが社が開発したネジの穴を補強する製品が、主力の製品で、すべての生産品の20%くらいをしめています。とても小さなものですが、いろいろなモノづくりの現場で活やくしています。
■「イリサート」って何?
使い勝手のいい、ネジ山を補強する部品
簡単に、「イリサート」の説明をしましょう。ネジを使ってモノを固定させたいとき、金属などの固いところは、直接ネジを使うことができます。でも樹脂(じゅし)(プラスチック)とかアルミ・ジェラルミン・合金・ポリカーボネート・アクリル・ナイロンなどの柔らかいものは、何度もネジをとめたりはずしたりしているうちに、ネジ山がつぶれて、壊れてしまうのです。「イリサート」は、このようにネジ穴がこわれるのをあらかじめ補強し、予防するためのものです。
こういったネジ穴の補強部品は、昔から他の会社でも作っていました。でもそれらはバネを使っていたので、伸びやすいことが欠点でした。伸びてしまうとネジが入らなくなってしまうのです。そこで私たちは、かたい鋼(はがね)を切って削ってくりぬくという方法で、8年前に「イリサート」を開発したのです。
「イリサート」と一緒に、イリサートをネジ穴に入れる道具「イリサートドライバー」も作って、イリサートとのセット販売もしているので、お客さまに「使い勝手がいい」と好評です。現在は、海外への輸出も少しずつ始めています。


■廣杉精機の社員
お昼ごはんは、社員全員で一緒に
現在、社員は18名(男性8名、女性10名)います。平均年齢は50歳すぎくらいでしょうか。若い人では、30代が2人います。男性の8名は製造担当です。女性8名はパートさんで、製品の検査を担当しています。中には、創業当時から通っている(小杉から通勤中)70歳近い女性がいますが、経験も豊富で、とても有能な方です。検査は目視(もくし)(目で確認する)なので、ときには拡大鏡を使って、一日に何百、何千、という数の製品のチェックをしています。

わが社は、家内工業的なところがあり、とても家庭的・家族的な会社です。季節ごとに社員のイベントもあり、お昼ごはんは毎日、お弁当を18人全員で集まって食べています。
わが社では、「納期を守る」ということを絶対に譲れないこだわりとしています。ひとつの製品が小さいので、多いときで1か月に何十万個、という注文が入ります。通常でも「イリサート」が1か月に10,000個くらい。納期を絶対に守るために、機械は24時間休みなく動いています。私自身も営業と技術開発を担当していますが、社員のみんなもとても忙しいので、健康にはとくに気をつけてほしいですね。「健康であれ。健康がすべての資本」ということを、いつも言っています。
■会社をやっていて「よかった」こと「大変だった」こと
“技術”も開発しながらの仕事を、やりきるよろこび
「イリサート」の他に、受注生産と言って、図面だけもらって製品を作るという仕事もしています。精密加工の仕事は、形が複雑なむずかしい仕事を頼まれることが多いんです。つまり、その製品を作るための“技術”も開発しないといけない。どうやって作るか、どういう順番で削る(けずる)のかなど、製品になるまでにさまざまな苦労があります。でも、たいへんなのを承知で手をあげて仕事をいただいて、それをやりきったときが一番うれしいですね。仲のよい会社も多いので、仲間うちで助けてもらったり、助けたり、ということもあります。「できないことはない!」「あきらめない!」というのがわが社のモットーになっています。
大変だなと思うことは、人がたりないことです。地域の人を優先的に採用したいと思っているので、そうなると条件がせばまるし、なかなかむずかしいですね。
あとは、機械が故障したときも大変困ります。機械があるからこそ製品の生産ができるので、機械が故障すると納期に影響してしまいます。金属などを削る作業なので、油をたれ流しながら機械を動かしています。だから、火災が一番怖いですね。今の機械はコンピュータ制御なのですが、工場内の室温も高くなるので、冷やすための工夫も必要です。
■廣杉精機のこれから
「イリサート」の次の製品を開発中!
現在、他社が販売しているばね式のネジ穴補強品もある中で、どうやって「イリサート」を使ってもらうか、広めていくかということは、いつも考えていなければいけません。ものすごくせまい限られた世界の中での仕事なのです。
しかし、「イリサート」も今年で8年目になり、おかげさまで口コミなどでも広まり、最近ではピンポイントで指名され、注文が入るようになってきました。世界でオンリーワンの商品として、認められるようになったのです。
でも一方、会社を発展させるためには、つねに次のことも考えなければいけません。現在開発している製品について簡単に紹介しましょう。今までのネジ穴は「かたくてこわれないもの」というのが一般的な考えでした。だから「イリサート」も、比較的かたいステンレス鋼をけずって作っているので、コストも高いことが欠点でした。でも、「柔らかくてこわれてもいいネジ穴」というのもあるのではないか、という発想の転換をしたのです。こわれてもいいネジ穴というのは、軽くて腐食(ふしょく)しにくいアルミ製です。アルミ製は弱くてすぐにダメになってしまいますが、逆に使い捨てができるのです。
ステンレス製だと、電位差(でんいさ)というものがあって、時間がたつと腐食(ふしょく)するのですが、アルミ製なら電位差(でんいさ)が少ないので腐食しないという長所があります。ステンレスのネジ穴は、そのまま捨てることができないのですが、アルミならそのまま捨てられる。つまり、リサイクルができて、環境にやさしいのです。この製品は、もうじき発売を開始します。

■都筑の子どもたちへのメッセージ
●何かひとつ、興味を持てるものを作ろう
スポーツ、音楽など何でもいいので、何かひとつ興味を持てることを作ってほしいですね。好きなこと、興味を持てること、それがすべての始まりです。そこから、将来につながることが見つかるかもしれません。
あとは、ゲームやパソコンではなく、文字を読んで、手で書くことを大切にしてほしいですね。体を動かすことも大事です。子どもだって、体が基本なのですから。
~佐々木さんの休日~
■趣味&マイ・ブーム
お酒を飲むことが大好き。あとは、読書。江戸時代の小説や、剣豪(けんごう)小説(剣術にすぐれた人物を題材にした小説)が好きで、よく読みます。学生時代は、添乗員(てんじょういん)(団体旅行につきそい、客の世話をする旅行会社の職員)になりたいと思ったことがあったほど、旅行が好きでした。とくに、お金もほとんど持たずに、自転車で全国を回る無銭(むせん)旅行(りょこう)は楽しかったです。
■休日のすごし方
休日といっても、製造業は機械を止めることがないように、皆で交代するので、土曜日の休みは隔週になります。貴重なお休みの日は、庭いじりをしています。
■この街について
ひとことでいうと良い街ですね。でも、NTは東京には出にくいと思います。グリーンラインができて少しは良くなりましたが。佐江戸のあたりは開発が取り残されているという印象があります。
2013年
7月
23日
火
株式会社ピーシーライツ

世界でここだけ!屋外コンサートで
雨にぬれても大丈夫なムービングライトを開発!
~そしてそれは、こんなところに使われているよ!~
■世界でひとつの、屋外で雨に濡れても大丈夫なムービングライト。
屋外でのコンサートや、アミューズメント・パークの屋外ライトアップなどに
使用できる。
■水中でも美しく光るLED照明。23年から製造販売を始めた新製品。
水を染めることができ、20m位までの噴水などで利用できる。
■川崎の「ラ・チッタデッラ」http://lacittadella.co.jp/」
■「八景島シーパラダイス」http://www.seaparadise.co.jp/ のアクアスタジアムの天井
■「六本木ヒルズ ヒルズアリーナ」http://www.roppongihills.com/facilities/arena/
■サンケイビル、その他各地のアミューズメント・パークにも設置されています。
~社長さんインタビュー~
株式会社ピーシーライツ 代表取締役社長 藤 信彦さん

■株式会社ピーシーライツの名前の由来
「証明の向きを左右に変える命令」のこと
株式会社ピーシーライツは、コンサートなどで使う照明を製造したりレンタルしたり、コンサート会場で照明の操作を担当している会社です。
会社名の「ピーシーライツ」は、「PC(パン・コマンド)」ということばに由来しています。「パン」とは、カメラや照明の位置を変えずに向きを左右に振って、広い場面を写したり、照らしたりすることです。「コマンド」は、コンピューターに決まった文字を入力して、命令を送ること。だから「パン・コマンド」とは、「照明の向きを左右に変える命令」という意味になります。
1989年に東京都大田区で創業して、2008年に、ららぽーと横浜のすぐ隣の地に引っ越してきました。コンサート用の機材は大きく、数も多いので、運び出すには大きなトラックが必要です。そのため住宅街だと危険なので、引っ越しました。
■株式会社ピーシーライツの仕事
照明関係…野外コンサート会場での照明の仕事
現在の仕事は、8割はコンサートでの照明の仕事です。コンサート会場に照明機材を運びこみ、音楽にあわせて、ステージをてらす照明の色や、方向や角度、あてかたのプログラムを作って、パソコンで操作します。
野外コンサートでは、高いやぐらを組んで照明を上のほうにも取りつけますが、それはとてもたいへんな作業です。雨が降ることもよくあるのですが、照明の一つひとつに傘をつけるとなると、とても手間がかかります。照明は熱を持っていて熱いし、足場(あしば)が雨ですべるので、本当に危険です。そこで2001年に、雨にぬれても大丈夫な動く照明を開発し、販売を開始しました。これが「ターボ700」で、世界的にも、うちの会社が初めて製造しました。

照明の製造…アミューズメント・パークの証明を作る
残りの2割は照明の注文を受けて製造したり、ちゃんと動いているかメンテナンスする仕事です。具体的には、アミューズメント・パークの建物や公園などが美しく照らされるような照明を作って、動きをプログラミングし、定期的にメンテナンス(修理)しています。
この近所だと、川崎の「ラ・チッタデッラ」http://lacittadella.co.jp/ 」 や、「八景島シーパラダイス」http://www.seaparadise.co.jp/ のアクアスタジアムの天井(てんじょう)に設置されています。
「六本木ヒルズ ヒルズアリーナ」http://www.roppongihills.com/facilities/arena/ や、サンケイビル、その他各地のアミューズメント・パークにも設置されています。

■株式会社ピーシーライツの社員
23 歳で独り立ちして、コンサートツアーを担当するスタッフも!
いまは21人の社員がいて、平均年齢は30~35歳なので、若い会社ですね。40代の人は私ともう一人くらいかな。
エンターテイメントが好きな人には、アーチストのコンサートを担当してもらいます。女性社員も7人いるのですが、そのうち6人はコンサートの担当です。23歳でひとり立ちしてコンサートツアーに同行しているスタッフもおり、とてもやりがいのある仕事だと思います。
コンサートツアーの担当になったら、3~4日で照明機材の準備をします。たとえば、火・水・木曜で準備して、金・土曜が本番、日曜が撤収(てっしゅう)、というスケジュールを、会社としては、1週間に4~5本並行しておこなっています。週末が勝負になり、徹夜になることもあります。横浜アリーナのような大きな会場は2人1組、少し規模の小さいホールは1人で担当してもらっています。

一方、照明機器の製造の部署にいる人は、モノづくりの好きな人ですね。
うちの会社に入社を希望する人は、「舞台の裏方(うらかた)がやりたい」「機材をつくりたい」という目的を持ってくる人が多いですね。コンサートというと、アーチストのファンだとか、ミーハーな人が多いのかと思うでしょうが、自分で音楽を楽しむのと仕事とは違うので、そういったミーハーな人は向かないかもしれません。でもみんな、担当したアーチストのファンになるみたいですよ(笑)。やはり、一生懸命その人のために仕事をするわけですから、自然と応援したくなるのでしょう。
会社の雰囲気(ふんいき)ものびのびと自由です。スタッフはそれぞれ、自分の担当のアーチストのスケジュールで動いているので、会社内でいつもみんなが顔を合わせる、と言うことはあまりありません。
■株式会社ピーシーライツの自慢できることと、スタッフへの思い
製造から操作、メンテナンスまでを引き受けているのはうちだけ
うちの会社で作っている照明機器は、それ自体は特別なものではなく、製造技術もむずかしいものではありません。でも、エンターテイメントの場面でいきる製品なのです。
うちの会社では、デザインから、動かすためのプログラムまでをオペレーターが担当し、メンテナンスまで引き受けています。つまり、製品を作り、それに関わる操作作業もメンテナンスも含めてすべてをトータルで引き受けているのは、うちの会社だけなのです。
同じ現場に関わる人たちが「あったら便利」と思うものを、実際に作って操作しているのが、株式会社ピーシーライツです。
スタッフは会社の外で仕事をすることが多いのですが、皆、放っておいてもちゃんとやってくれるので安心しています。そうは言っても、外に出てしまえば、助けてあげられないこともあります。会社の中でできないことは現場でもできないので、せめて会社でできることはやって、準備を完ぺきにしておくことが大切だと、いつもいっています。現場でトラブルになると、ばんかいするのはたいへんですからね。
それと、コンサートの同行というのは移動時間が多いので、どうしても家族ですごす時間が短くなり、チームですごす時間が多くなってしまいます。ひとりになれる時間もほとんどなく、精神的にもたいへんなので、できるだけ仕事の時間を変えてあげたりして対応しています。

■会社をやっていて「よかった」こと「大変だった」こと
トラブルにあっても強い気持ちで「やりきる」
よかったことは、コンサートがぶじに終わったり、設備がきれいにできあがったとき。お客さまの満足した顔を見ると、スタッフも「やった!」という気持ちがわきあがります。
苦労したこととしては、2001年に、ある大規模な野外コンサートツアーで「ターボ700」を初めて使ったのですが、このとき、半分のライトがつかないというトラブルに見まわれました。3か月くらい全国をまわるツアーだったのですが、そのときは、本当に「地獄を見た」きもちでした。幕張から静岡に移動する間にいろいろと調べて、原因は電圧の問題ということがわかりました。
コンサートは、たとえトラブルがあったとしても、本番が始まったら最後までやりきるしかないんです。「その場をどう対応するか」が大切です。思ったようにいかないことがあっても、どうにかそれを克服(こくふく)しないといけない、やり続けないといけない。「責任を持ってやりきる」というプロの意識が大切ではないでしょうか。それには経験も必要です。長い人で20年くらいかかることもありますが、経験して学んでいくものだと思います。私の長年の経験ですが、初日がうまくいくと、そのツアーはうまくいくことが多いですね(笑)。
■こどものころの夢・いまの仕事
高校時代には、将来は「舞台関係」と決めていた
小学生のころはカメラマンになりたかったんです。機械(当時はカメラ)が大好きだったですね、こわす専門だったけど(笑)。高校時代は演劇部に入って、市内の高校演劇コンクールで、母校の照明を担当しました。高校時代はずっと、照明関係のアルバイトもしていたんです。もともとは自分は文系だと思いますが、高校では理系に変わったんです。だから機械もずっと好きで。高校のころには、自分の夢は「舞台関係」と決まっていましたね。だから大学では文学部演劇科に入りました。卒業後、最初に入社した会社の社長とピーシーライツの前社長が知り合いだったので、ピーシーライツに転職しました。
私は震災直後の2011年3月30日から社長になりました。今は現場にもときどき行くことがありますが、基本的には営業(仕事をとってくること)をしています。コンサートの仕事というのは、実績さえあれば「あそこの会社がやってくれるよ」という口コミで、どんどん広がって新しい仕事の依頼がきます。だから一つひとつの仕事をきちんとやっていくことが大切だと思います。

■都筑の子どもたちへのメッセージ
何でも「続ける」ことが大切!
何かひとつのことが、「自分に向いているか」「向いていないか」というのは、「それを続けたか」「続けられなかったか」ということだと思います。続けることは大切なんです。
エンターテイメントの世界でも、“大御所(おおごしょ)”と言われる人たちは、たくさんのライバルがいる中で、「続けてきた」人。続けてきたから“大御所(おおごしょ)”になれた。
皆さんも、何かずっと続けられるものを見つけてほしいと思います。たとえばゲームが好きなら、それを続けていくうちに、「こんなに好きなんだから、自分で作ってみよう」と思うことがあるかもしれません。
~藤さんの休日~
■趣味(しゅみ)&マイ・ブーム
海外旅行に行きたいです。だれも知らない人ばかりの国がいいですね。海外は展示会などでは行くことがありますが、仕事ではなく、好きなところに行きたい。
■休日のすごし方
丸一日休みのことはほとんどないですね。昼間は休みでも、夜から現場ということも。社長になったら、自分の時間はなくなりました。本当に、たまの休みのときは、寝ているか、昼間からお酒を飲んでる(笑)。オンとオフを切りかえないといけないですね。
■この街について
緑が多い街だと思います。ららぽーと横浜が近いので、買い物や食事が便利です!
2013年
7月
12日
金
相互電機株式会社

気持ちのいい温度や湿度を保つために必要な機器、温度・湿度センサー
そしてそれは、こんなところに使われているよ!
■映画館や病院内の、温度を確認するセンサー(大きな温度計)
■ゴミ焼却炉の温度を調節したり確認するためのセンサー
■雪印牛乳工場の牛乳貯蔵庫の残り温度をチェックするセンサー
■みなとみらいにある温泉「万葉倶楽部」のお風呂の温度を確認するセンサー
■「ランドマークタワー」「スカイビル」「都筑図書館」などの大きなビルの
冷暖房施設の温度・湿度チェックをするためのセンサー
※センサーとは、測定された値を読み取るのも。
温度が変わっていないか確認するもの。
~社長さんインタビュー~
相互電機株式会社 代表取締役社長 荻野伸夫さん

■相互電機株式会社の歴史
おじいさんがつくった相互電機株式会社の 3 代目
戦争が終わって 6 年目の昭和 26 年( 1951年)に、私のおじいさんがつくった会社です。そのころ東京都大田区に、戦争中は戦艦大和(せんかんやまと)や零式艦上戦闘機(ぜろしきかんじょうせんとうき) 通称(ゼロ戦)の計器などを作っていた北辰電機製作所(ほくしんでんき)という大きな会社があって、おじいさんは、最初そこで働いていました。でも同りょうとその会社を辞めて、ふたりで相互電機株式会社を作り、北辰電機製作所が売っていた計器の修理を引き受けるようになったのです。ふたりで作ったので、社名に「相互(そうご)」ということばを使ったのだそうです。
その後日本は技術がどんどん成長して、品質のいいモノが作れるようになったので、あまりモノがこわれない時代になりました。そこでおじいさんは、今までの研究や技術を使って、新しい製品を開発し、販売をはじめました。それが、工場や倉庫などで使う温度計や、温度を一定にたもつための温度調節器でした。
昭和55年に私の父が会社を引きつぎ、横浜に引っ越してきて、今うちの会社で一番売れている温度センサーを開発しました。
私は、平成18年(2006年)に父のあとをついで、社長になり、温度だけでなく湿度もいっしょに感知(かんち)するセンサーを開発して、販売をはじめました。
■相互電機株式会社の従業員
自分だけの技術を身につければ、74 歳でもお仕事を続けられる
従業員は、男性が13名、女性が8名、全部で21名います。年齢は一番下の人が26歳、一番上は74歳の女性で、この方は、私がまだ子どものころからはたらいていた方です。だから、ものすごい技術を持っていて、拡大鏡(虫メガネのようなもの)をつけて、髪の毛よりも細い白金の針金のような線を、温度センサーの棒に巻く作業を何十年もやっています。みなさんのおばあちゃんより年上でしょう。今は1日に50本くらい巻いています。自分の得意な技術があれば、このように何年でも仕事を続けられるというよいお手本です。
この作業は商品を作る作業ではなく、修理するための作業ですが、ここがしっかりとできているから、新しいお客さまが安心して、うちの製品を買ってくださるのです。
■相互電機株式会社の社風
のんびりしていても、ときには情熱をむけて進め!
平均年齢が53歳と高めなこともありますが、のんびり、わきあいあいとした雰囲気の会社です。おじいさんの時代から、そうだったようです。だから、私もあまりこまかいことを言わないようにしています。
でもときどきは、アクセルをギュッとふみこむように、なにかに情熱をむけていっしょうけんめいに進んでいくことも大切だと思うので、それを伝えています。

■相互電機株式会社の目標
アイデアを大切にして、ほかの会社がうやがることを...
製品を売ること(営業)だけではなく、技術をみがくことや、従業員に気持ちよく仕事をしてもらって能率を上げること、情報を集めていかしていくことにも力を入れます。会社を続けていくために大切なすべてのことを、バランスよくやっていきたいと思います。
ほかの人やほかの会社がいやがる仕事をやっていきたいです。Aの製品を使うことが一般的だとしても、「うちはAではなくBがほしい」いうお客さまがいれば、数は少なくても、それに対応していきたいです。そうすれば、Bを必要としている人の信頼を得ることができて、次の仕事につながっていくと思います。
あと、うちのような中小企業は、アイデアが大切です。アイデアがないと、大きな企業には負けてしまいます。京都に「村田製作所 http://www.murata.co.jp/ 」、
「任天堂(にんてんどう) http://www.nintendo.co.jp/ 」、
「堀場製作所(ほりばせいさくしょ) http://www.horiba.com/jp/careers/horiba-ltd/ 」という会社がありますが、どこも、自分たちだけの特徴のあることをやっています。そういう会社を見習いたいです。

■会社をやっていて「よかった」こと「大変だった」こと
「売れてうれしい」よりも「作ることが楽しい」
たくさんの人のアイデアを集めて、よいものを考えて、苦労しながら何度も試作をくり返すことはとても大変ですが、できあがったときのよろこびはそのぶん大きいものです。だから「売れてうれしい」というよりも「作ることが楽しい」ことがよかったと思います。
モノを作ることは、1度は成功しても、2度目に失敗することがよくあります。それを、いつも成功させていくことが、大変なことですね。
あと、社長になったこともよかった(笑)。楽しいことも悲しいことも、社長だから味わえるのかもしれません。私より年上の従業員が多いので、最初は「社長として認められないのでは?」と思いましたが、認めてもらうように努力できたことが、よかったことです。
■社長さんの仕事
地域とのネットワーク作りが、社長さんの役目
よい製品を作るには、地域の方の理解を得て、ネットワークを作ることが大切だと思います。よい地域・すてきな街にならないと、よい製品づくりはできない。ですから、私には「地域の方々と交流を深めて、ネットワークを作る」という大きな仕事があります。それは社内では、私だけにしかできない仕事です。
あとは、「目標」のところでもお話ししましたが、バランス感覚を大切にして、いろいろなことを率先してやって、従業員を引っぱっていこうと思っています。

■将来の夢・なりたかったもの
アルバイトをして、いろいろな人と付き合うことの大切さ
大学時代に、とにかくたくさんのアルバイトをして、やりたいことをさがしました。おすし屋さんや、喫茶店(きっさてん)でも働きました。それは、いろいろなことができるようになって、認められたいと思っていたからです。「料理を出すときには“タイミング”が大切」と言うことを教えてもらったことがあって、そんなことも、ものすごく勉強になりました。いろいろと経験するなかで、「将来は相互電機をつぐことになるのかな」と思うようになり、大学を卒業したあとは、社会での経験を積むために、横河電機(よこがわでんき)という、相互電機と昔から仲間だった会社の商社に入社しました。
余談ですが、アルバイトでいろいろな人と付き合ったことで、人との接し方やコミュニケーションの方法を学べたことは大きかったと思います。それは社会に出てから、とてもいかされています。たとえば上司と部下の関係や、お客さまとの関係などです。今では、アルバイトはそのための予行練習だったと思っています。

■都筑の子どもたちへのメッセージ
いろいろな経験をして、可能性を広げよう!
とにかく、いろいろなことを経験してほしいです。経験することで、おもしろいことや、正しい道を選べるようになります。たとえば水泳・サッカー・山登りなど、何かひとつだけを選んで、そのプロフェッショナルになれたらすごいと思いますが、それをできる人はそんなに多くはいません。大多数の人にとっては、いろいろと経験をして、自分の可能性を広げて、その中から自分で答えを見つけていくものです。それは社会に出たときにいかされます。きっと自分の宝になるはずです。
あとは、友だちをたくさん作ることも大切です。今から作っておけばきっと、大人になったときにお互い助け合えるし、ネットワークを広げることが得意になりますよ!
~ここだけのないしょの話~
相互電機株式会社に入社するには何が必要??
四則計算(しそくけいさん)ができればだいじょうぶ!だって、私も文系(ぶんけい)だったんですよ(笑)。コミュニケーション能力もあるといいかな。そのためには、好きな人とだけではなく、いろいろな人と話してみることが大切だよ。
真剣に仕事をしてくれる人であれば、だれでも OK !!
~荻野さんの休日~
■趣味(しゅみ)&マイ・ブーム
今、はまっているのはゴルフ。今までゴルフはあまりやらなかったのですが、お客さんと行くことになったので、ちょっとがんばろうと思っています。
■休日のすごし方
ふだんの日は9時半ころにうちに帰ります。子どもは7歳の女の子と、4歳の男の子ですが、私の帰りがおそいので、寝てしまっていることが多いんです。だから休日は、子どもと遊ぶのが楽しみ!なめこゲームや自転車、すごろく、折り紙などをやっていますよ。
■この街について
人と自然がうまくいっしょになっている街だと思います。ほのぼのとした地域ですね。鶴見川に桜を植える計画があるとか。実現するといいですね。